遠い街からポツリと。

学習塾に身を置く身の人間が日々思うこと。

すりこみ

「ママ、私の成績が伸びない事、すっごく心配してくれているし、応援してくれてる。〝こんなに頑張ってるのに、なんで成績上がらないんだろうね〟〝お母さんは、頑張ってること知ってるよ。ただそれが点数に繋がってないだけだってことも〟っていつも言ってくれる」

 

期末テスト返却後、塾の個人面談で母親が教室責任者と面談中の中2女の子。

今春からの入塾。

確かに、部活や習い事のハードスケジュールの中、時間があれば自習や対策に来ていた。

何とかしたい!という意思も見える。

小学校までの基礎と理解力にも多少思うところはあるのだが、面談している母親を見ても、「何故なんでしょう。娘が不憫で。」と。

 

小6男の子、算数が苦手。

「あまりにも苦手意識が強すぎて、成績表にとんな評価がついても、テストで何点でも、算数に関して「だけ」は、何も言わないよう心掛けてきたんですが」とお母さん。

今、本人は算数の呪縛に雁字搦め。

 

どちらも、ある意味「できない」を刷り込まれているような気がするのは、私だけであろうか。

 

 

10連休で中間テストが

新学期が始まって早々

「先生!ラッキーなお知らせ〜!」

「超嬉しい!塾のテスト対策、今回は無しにな      

    りそうやな」

みんな別々の中学校なのに、同じようなことを言いながら ‘ 学校だより ’ や ‘ 学年だより ’ を持参。

見れば4月から5月にかけての10連休に伴い、1学期の中間テストが「無し」になったり小テスト扱いになる、また通常扱いであっても、範囲が例年とは異なり、約半分になる予定     など、

驚きの内容。

 

そうでなくても、1学期はすんなり授業に入りにくい環境。

そこに10連休が挟まれば、必然的に授業が進まなくなる。

子ども達にとっては、ホッと肩を撫で下ろすところだろうが、その後の期末テストの範囲を考えると「ひえぇ〜っ!!」と顔から血の気が引く自分に気付いた。        ((((;゚Д゚)))))))

ましてや、「中間テスト、無し」って⁉︎

市内全中学校で統一しなくても受験の時に必要な内申などへの影響は無いのだろうか?

 

まあ、それらは学校がきちんと考えた上でのことだろうが、ちょっと心配。

 

 

悩み中

毎年、年末が近づくころ。「今年度で辞めよう」と思う。

今の職場にずっと居るのか。

この年齢(四捨五入すれば、もうアラフィフ)から今後どうなるのか、いや、どうするのか。

非常勤の社会人塾講師という立ち位置、大学生とも違い、社員とも違う。

やるべきこと、してもいいこと の狭間でもどかしい思いもある。

生徒達に対し、塾としてもっと試してみたいこともある。

 

年が明け「どのタイミングで伝えよう」「次の年も今の生徒達以上に可愛いと思えるのか」「いやいや、受験が終わるまでは」と考えているうちに、オーバラップで次年度が始まる。この繰り返し。

 

でも、今の職場は決して嫌いではない。

上司は要領もイマイチで気も効かないが、間違いなく悪い人ではない。むしろ、私が率先してアシストしたいくらい。

生徒達も我が子同然に可愛い。

ただ、塾内で「器用貧乏」を楽しんできた私に、自慢できるのはコミュニケーション力だけかもしれない。他所で通用するのか。

 

「その話を聞くと、春が来たなあって思うわ」と今春から社会人になった息子。

 

辞める辞める詐欺は春のせいか?元号の変わり目がリセットどきなのか?

楽しい勤務時間が終わった帰り道は、毎日考える。

こんな思い、他の人はどうなんだろう?

 

言葉にしたら、ちょっと落ち着いた。

 

 

 

学び直し

春期講習、前半と後半の間(今日と明日の2日)は休校日。

 

高校入試を終えた中3生との「お疲れ様会」を終え、既に在校生の名簿は新学年に。

塾に勤めていると、あまり節目というか、切れ目がないような気がする。

 

「学年毎のカラー」があるのは、どこの塾や学校も同じなのかもしれない。

今年は去年に比べ、「なぜ、うちの塾に⁉️」「もっと偏差値の高い高校を狙える、集団の塾でも問題ないのに。」と思うような新中3生の入塾が3学期頃から増えていた。

もちろん、以前から続けている生徒はいるし、彼らは受験する高校を選べるのか?と心配になる子達が多いのだが、案外そういう生徒より、選び放題の生徒の方が、従来の英数に加え、理科社会の受験用オプション講座を早期から受講する傾向に。

どんな復習問題もほとんど間違えることなく、質問だって皆無。

「去年の子達なら、この問題でほぼ全員が間違えて、やり直しでは『もう、わからん!』と投げ出す始末だったのに。」質問対応しながら、私自身も一緒に勉強していた感じで、それはそれで楽しかったのだが。

淡々と先に進んで行く今年の受講生を見ていると、襟を正して学び直しをする必要性を痛感。

万が一、彼ら彼女らに難解な質問をされてもサラッと答えられるようにしておかないと  (>_<)

 

電気やイオン、苦手やわぁ〜!

「ウチのお母さんは」

英語が大の苦手で、簡単な単語すら覚えられず大苦戦する中1女の子(まあ、他の教科も似た感じ😅)が、学年末テストで英語を22点アップさせた。

前回のテスト、2学期期末の英語は18点。中1で

この点数はなかなか大変ではあるけれど、それでも頑張ったことは称賛もの。

「お母さん、喜んだでしょ?」と聞くと「''20点上がったところで、40点かよ"って。ウチのお母さんは喜ぶなんて、ぜーんぜん😩」と。

この20点、どれほどの努力と忍耐(本人にも塾にも)が必要だったか💦

     

       「あんたはアホやから、高校はテキトーに

          受かるトコでいい」

       「塾の個人面談?面倒臭いから行かへん」

       「テストの点数、これ以上あがらんかった

            ら塾やめさせるで!」

        「あんたはホンマに何も考えんと生きてる

            やろ」

(こちら大阪の為、大阪弁

生徒からよく聞く、親(特に母親)の言葉。

我が子が「アホ」なら何とか一緒に策を練ろうよ。

面談ぐらい、親の役目じゃない?

塾をやめれば もっと下がるよ。

何も考えてないなんて無の境地、お釈迦様レベルでしょ。

 

私も子育てをしたので、お母さん達の気持ちはホントによくわかるのです。

塾で生徒達のことを、いくら「我が子同然」と思っていても、やはり、血縁関係のある本当の「我が子」を育てることが一番難しいことも経験済み。

だからこそ、今度は塾側の立ち位置からアシストしたいと思うのです。

 

生徒本人、親、学校、塾。

なかなか勉強がしんどい子供達は、全員で伸ばしていかなければ。

 

塾の授業中に「今、塾?」「何時に終わる?」バンバンLINEを送って来るお母さん。授業中に返信させるつもり?

面談で「ウチの子、本当に勉強に身が入らず困ってます。何とかなりませんか?」と言いながら、「今日は塾なんか休んでUSJ行こ!」と子供を誘うお母さん。そりゃあ身が入らないですわなぁ😩

 

以前、ある植物活性剤のCMで

「花と子供は褒めて育てよう」みたいなコピーが。「花と夫は」バージョンもあったような。

何でもかんでも褒めればいいわけではないが、子供の努力は認めよう。子供の言動を一歩引いて見守ろう。子供に関心を持とう。だって自分の子供でしょ?

もっと家庭で会話もしてほしい。子供の語彙力不足は大人との会話不足。

今しかできない「子育て」に悩んだり、泣いたり、楽しんだりしてみたくない?

親子のコミュニケーションは、これが今の世代のスタンダードなのかなぁ。

国語が苦手な子が増える一方なのも、なんだか納得できる。

 

久しぶりに書いたのに、愚痴のオンパレード。

作文

私が勤める塾は英数メインの個別指導塾。

その中にオプション講座として、小学生にのみグループ指導の国語講座がある。私の担当。

 

月に一冊、指定の本を読みながら読解力や記述力を高めるもの。お堅い授業というより、グループならではの「楽しみながら学ぶ国語」といったところ。

この講座の良いところは、読書習慣はもとより、小学生のうちから「書く」ことに慣れる、抵抗がなくなるところ。「 この登場人物はなぜそう思ったのか、本の言葉を使って答える」「自分はどちらの意見に賛成か理由を述べる」「オススメの本を紹介する」「読書感想文」など、考えや思いを文字化する経験を積む。

始めこそ、何を書けば良いかわからず、鉛筆を持つ手が止まっていたり、文として全く成立していなかったり。それが回を重ねていく毎に、決してテクニックのある文ではないけれど、稚拙ながらも小学生らしいイキイキとした文章が書けるようになるのだ。例えそれが宿題の物であっても、書いている時の表情や息づかいまでをも感じられるような。

また、人前で意見を述べる自信、反対に人の意見を聞く姿勢を持つ ということも狙いの一つ。

 

「子供達の文章は必ず目を通して花マルを付ける」という決まりがあるのだが、私は添削というより手紙の返事に近い、あるいは交換日記のようなコメントをできるだけ沢山つけるよう心掛けている。

どんなに殴り書きの文であっても、全てに書き手の名前を添えて(◯◯くんはどうかな?など)対話形式で。

それはグループ指導の授業で唯一、1対1で向き合えるツールだから。

それを子供達は楽しみにしてくれているし、気に入ったこちらのフレーズを自分で使ってみる子もいる。中でも「◯◯ちゃんのこの文章、リズムがいいね!」は小学生に人気。

夏休みや冬休みには、読書感想文を2冊分、場面場面やいろんな登場人に焦点を当てて、各本50枚ずつ計100枚を書き上げる…なんてことは珍しくない。

みんな学力的にはごくごく普通。中には学校の授業に追い付けない小学生も。

それでも彼等は「書く」という作業に恐れがないことは確か。

中学・高校での学校教育や新しい大学入試制度において、この経験が少しでも力になることを期待している。

 

明日に控えた公立高校入試。

国語では作文がある。260〜300文字の短い指定。中3生は、これがなかなか書けない!

事前に行う作文対策でも「何を書けばいいかわからない」と白紙、書くべき事(お題)に沿っていない、またはズレたまとめ、まるで箇条書きの文章…。国語講座に在籍する小学生と比べようもない。

しかし、公立高校入試において、この作文は配点が大きく侮れない。

 

兎にも角にも、指定文字数の8割は埋めてね!

せめて小学校で習った漢字は使って!

問われている内容について書くんだよ!

取り敢えず、書いたら読み直してみて!

 

今更ながら伝えたいことは溢れてくる。

 

カッコいい文章でなくても構わない。上手くまとめ切れていなくても大丈夫。

自分らしく、あなた達の人柄が透けて見えるような、そんな文章を自信を持って書き切って来てね‼︎

 

 

 

走れメロス

週末、勤務先の塾では学年末テスト直前の対策が行われた。

午前中は数学の演習、午後からはそれ以外の教科演習と提出物仕上げ。

 

中二の女の子。いつも穏やかで真面目。成績もうちの塾の中では(勉強が苦手もしくは嫌い、学校では平均以下の子が多数を占める)かなり安心できる生徒。

彼女が国語の提出物である演習問題を始めた。

太宰治の「走れメロス」。「わからない問題がたくさんあって…。特に記述問題は何をどう書けばいいか、さっぱりわからないんです。」

しかも「最後は誰か死にますか?」   と。

 

確かに今の時代の日常会話ではなかなか使わない言葉が多い。場面設定なども含め、太宰治森鴎外夏目漱石などの文学に触れる機会の少ない中学生にとってはハードルは高い。

しかし、何時間も授業があって、ストーリーさえ理解していなかったなんて。

彼女が理解していないなら、きっとうちの他の生徒は…。恐ろしい。

自分で全文を読む機会はなかったの?

先生は朗読しなかったの?

ブツ切りの本読み宿題、また読み込めている前提で進められる授業。もどかしい❗️

 

私の息子が高校1年の時。国語の授業参観があった。中島敦の「山月記」を国語の先生は20分以上かけて朗読した。

私が国語好きだからかもしれないが、吸い込まれるような気がしたことを覚えている。

 

読解力、語彙力、表現力が足りなさすぎるのも無理がないか。

正しく美しい日本語に触れる機会をもっと与えたい。そして、心を動かして!心が動くと、あなた達の表情さえも良くなるのだよ‼️