遠い街からポツリと。

学習塾に身を置く身の人間が日々思うこと。

走れメロス

週末、勤務先の塾では学年末テスト直前の対策が行われた。

午前中は数学の演習、午後からはそれ以外の教科演習と提出物仕上げ。

 

中二の女の子。いつも穏やかで真面目。成績もうちの塾の中では(勉強が苦手もしくは嫌い、学校では平均以下の子が多数を占める)かなり安心できる生徒。

彼女が国語の提出物である演習問題を始めた。

太宰治の「走れメロス」。「わからない問題がたくさんあって…。特に記述問題は何をどう書けばいいか、さっぱりわからないんです。」

しかも「最後は誰か死にますか?」   と。

 

確かに今の時代の日常会話ではなかなか使わない言葉が多い。場面設定なども含め、太宰治森鴎外夏目漱石などの文学に触れる機会の少ない中学生にとってはハードルは高い。

しかし、何時間も授業があって、ストーリーさえ理解していなかったなんて。

彼女が理解していないなら、きっとうちの他の生徒は…。恐ろしい。

自分で全文を読む機会はなかったの?

先生は朗読しなかったの?

ブツ切りの本読み宿題、また読み込めている前提で進められる授業。もどかしい❗️

 

私の息子が高校1年の時。国語の授業参観があった。中島敦の「山月記」を国語の先生は20分以上かけて朗読した。

私が国語好きだからかもしれないが、吸い込まれるような気がしたことを覚えている。

 

読解力、語彙力、表現力が足りなさすぎるのも無理がないか。

正しく美しい日本語に触れる機会をもっと与えたい。そして、心を動かして!心が動くと、あなた達の表情さえも良くなるのだよ‼️